走れる人には休め、歩けない人には歩け、と返した夜

「入社時は休日も連絡取れって言ったのに、なぜ今は休めと言うのか」
5月の連休のさなか、店長との価値観すり合わせの面談だった。社内の確認用ツールの入れ替え作業が午前中に終わって、午後の遅い時間、机を挟んで二人で座っていた。
話が一週間の振り返りから自分の働き方の話に流れたとき、相手が少し言いにくそうに口を開いた。
「入社のとき、責任者の人から『休日も連絡取れるようにしておいてください』と言われましたよね。あれを守ってきたんです。それなのに、最近は『休んでください』『連絡見なくていいです』と言われる。正直、ちょっと混乱してます」
机に置いた手を、相手は組み直した。視線は手元に落ちている。責めている口調ではなかった。怒っているのでもなかった。ただ、自分の中で説明がつかないものを、そのまま渡してきたという感じだった。
私は、一瞬黙った。
頭の中では、すぐに反論の材料が並ぼうとした。あのときは新店の立ち上げで人が足りなくてうんぬん、いまはチームが回るようになったからうんぬん。理屈はいくらでも作れる。でも、それは説明にならないと、口を開くより先に分かった。理屈の整合性で押すと、相手の混乱はそのまま残る。残ったまま、また来週同じ話をすることになる。
少し間を置いてから、言った。
「走れる人には休めって言うんです。歩けない人には歩けって言うんです」
同じ言葉を、全員に渡してはいけない
そのあとに続けて、自分が考えていたことをそのまま話した。
入社のときに「休日も連絡取れるようにしてほしい」と言ったのは、まだ走り方を覚えていない人に、走ることそのものを覚えてほしかったから。仕事の温度を切らさずに、土日も頭のどこかに置いておく癖。あれがないと、月曜の朝に立ち上がりが鈍くて、結局自分も周りも苦しくなる。だから当時は「連絡取れるようにしておいて」と言った。
今、「休んでください」と言うのは、相手がもう走れるようになったからだ。走れるようになった人がそのまま走り続けると、止まれなくなる。止まれない人は、いずれ自分でブレーキを壊す。だからいまは「止まってください」「見なくていいです」と言っている。
走り始めの人に「休んでいい」と言うと、走ることを覚えないまま、止まる癖だけがつく。走れる人に「休まずに走れ」と言うと、ある日いなくなる。たぶん、同じ言葉を全員に渡してはいけなかったのだと思う。今になってようやく、そこの差が自分の中で言葉になってきた。
そういうことを、ぽつぽつと、説明した。途中で、相手の目が少し赤くなった。一筋、涙が出かかって、止まった。
私はそれを見ながら、続きの言葉を急いで足さなかった。場を埋めようとしないで、ただ待った。
しばらくしてから、相手のほうから声が出た。
「早めにアウトプットして、修正したいです」
それは、私が指示したことではなかった。週次の宿題でもなかった。自分の動き方を、自分で変える提案だった。
ああ、今日は届いたんだな、と思った。
2017年3月、24時間動かす方針を畳んだ春
この話を話しながら、ずっと前に自分が説明して回った時期のことを思い出していた。
2017年3月。当時の自分は、24時間営業の店舗を任されていた。朝8時から夜中の1時までの時短営業に切り替える、という話が下りてきたのが、その春だった。深夜の売上を諦める、という単純な話ではなかった。深夜帯で働いていた人たちの勤務時間が変わる。シフトが変わるということは、月の手取りも変わる。生活の組み立て直しが、人数分だけ発生するということだった。
説明して回ったのは、自分だった。
ひとりずつ呼んで、24時間動かす方針を畳むこと、勤務時間がこう変わること、収入の見え方がこう変わることを話した。納得してくれる人もいれば、黙ったままうなずく人もいた。「困ります」と正面から言われたこともあった。困らせている自覚はあった。入社の面接のとき、深夜帯を回せる人を採ったのは、ほかでもない自分だった。「24時間回したいから来てほしい」と言って採った相手に、数年後、「24時間回すのをやめます」と話している。
理屈はあった。会社の方針として、24時間を維持する人件費が深夜帯の売上に対して合わなくなっていた。本部から数字を見せられれば、転換が必要なのは私にも分かる。けれど、目の前の人にとっては、数年前に自分が口にした言葉と、今日自分が口にしている言葉が、合っていない。ただそれだけの話だった。
そのときの自分は、体力的にも精神的にも辛い時期だった、と今振り返れば言える。当時はそんな言葉を自分に許していなかった。説明して、シフトを組み直して、作業の割り当てを引き直して、また次の人を呼んで説明する。一人ひとりの生活が変わる重さを、まとめて自分の机の上で背負っていた。辛い、と言葉にする余白がなかった。
あの春の自分も、たぶん、走れる側だった。走れていたからこそ、その役目が回ってきた。そして、走れる側の人間は、自分の指示が誰かにとっての矛盾になることを、一番先に飲み込まなければいけない。「あのときと言っていることが違う」と言われる側に立つのは、いつも、転換を決めた側だった。
今日の店長と、あの春の自分
机の向かいの店長が、いまの自分は走れていると、本人がどこまで自覚しているかはわからない。たぶん、まだ半分も自覚していない。だから「休んでください」と言われると混乱する。
でも、外から見ている私には見えている。週次の振り返りで同じ話を繰り返しながらも、ちゃんと前に進もうとしている人の足の運び方が見えている。走り始めの人の足の運び方ではなくなっている。だから今、「休め」と言っている。
あの春の自分は、「24時間動いてほしい」と言って採った相手に「もう動かしません」と話して回っていた。指示が前と違うことを、相手より先に飲み込むのが自分の仕事だった。今日、目の前の店長から「言っていることが違う」と渡されたとき、一瞬黙ったのは、たぶんあの春の感覚が体に残っていたからだ。指示の中身が違うのは、サボったからでも気が変わったからでもない。状態が変わったからだ、と説明する側に、自分はずっと立ってきた。
入社のときに「休日も連絡取れるように」と言ったのと、いま「休んでください」と言うのは、矛盾しているように見えて、たぶん同じことをしている。相手の状態に合わせて、いま渡したほうがいいものを渡す。それだけのことだった。
面談が終わったあと、相手は少し背筋を伸ばして帰っていった。私はオフィスに残って、しばらく天井を見ていた。指示の矛盾を責められて、その場で自分の中の整合がついた瞬間だった。9年前の春、ひとりずつ呼んで説明して回っていた自分と、目の前の店長と、いまの自分が、一本の線でつながった気がした。
体調メモには「8」と書いた。深いところで人と関わった日に、この数字が出ることが、最近わかってきている。
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