PCを開かなかった土曜の夜

2026年4月27日、土曜日。 朝起きてからずっと、PCを開かなかった。 意識して開かなかったのではなくて、その日にやることが、たまたま開発じゃなかった。
「やらなかった」と「やるべきじゃなかった」
その日のジャーナルにこう書いた。
「今日、PCを開かなかった。それは『やらなかった』のではなく、『今日やるべきことが開発じゃなかった』」
日々、開発を詰めている時期だった。 普通の土曜なら、午前中から夜まで何かをコードに書いている。 その流れの中で、その日だけ開発が外れた。
外れた理由は、もっと優先度の高いことが2つあったから。 ひとつは、ある人にβ版モニター依頼の連絡をすること。 もうひとつは、お店との約束ごとを、後回しにせず誠実に片付けること。
両方とも、5分10分の話だった。 でも、その5分10分を、その日のうちに済ませることが、私にとっては開発時間より大切だった。
半年前、別の人にも同じことをしていた
ここから話を、半年前に戻したい。
2025年10月、ある近所のカフェの店主と何度か話していた。 そのカフェは、1年半くらいクレーム対応に苦しんでいた。 店主は、毎日それを抱えて営業していた。
私はカフェに通っているうちに、何度か話を聞くようになった。 ある日、私の本棚にあった「福に憑かれた男」という本を、店主にプレゼントした。
理由は単純で、その本のテーマが、店主のいまの状況にちゃんと届くと思ったからだった。 本の中に、こんな趣旨の言葉がある。
「目の前の人ひとりひとりに、真心を尽くす。それが種まきになる」
店主はその夜、本を読んで泣いた、と次の日に教えてくれた。 「ここまで深く話せることが、いままでなかった」と言ってくれた。
「在り方」で人と接する、という選択
その本をプレゼントしたとき、私は何かを「解決」しようとしていなかった。
クレームの相手と私は無関係で、私が間に入ることはできない。 店主の経営判断にも、私は何の関与もしていない。
ただ、店主の苦しさが、私の中で置きっぱなしにできない状態になっていた。 そのまま放置すると、私の側の何かが摩耗する気がした。
だから、本を渡した。 解決のためじゃなくて、「あなたのことを置きっぱなしにしていない」という事実を、本という形で渡した。
店主は、本を受け取って何かが少し動いた、と言った。 それが、店主の苦しさの根本を解決するわけではない。 でも、ひとり置き去りじゃない、ということは伝わった。
4月の土曜日と、10月の本のプレゼントは同じ筋
2025年10月のカフェでの本のプレゼントと、2026年4月のPCを開かなかった土曜は、私の中ではまったく同じ筋でつながっていた。
その日にやるべきことが、開発でも仕事の本タスクでもなかった、というだけのこと。 代わりに、人との関係の中でいま渡せるものをちゃんと渡すことが、その日の予定表の中心になっていた。
PCを開かないというのは、結果でしかない。 本を渡すことも、結果でしかない。
予定表の中心が「在り方」になると、行動は自然にそうなる。 無理して「人を大事にしよう」と決めるんじゃなくて、その日に何が大事かを順に見ていくと、開発が外れる日が出てくる。
在り方は、量を競わない
在り方で1日を設計すると、量は減る。 コードの行数も、書いた記事の本数も、その日は少なかった。
でも、ジャーナルに書いた感想は「気分7、ちゃんとした1日だった」だった。 量で見たら、その日は「動かなかった日」だった。 質で見たら、その日は、半年に何回かしか起こらない種類の1日だった。
私の中の優先順位の検証として、その日のメモを残しておいたのは、たぶん何ヶ月かあとに見返したいからだった。
開発を詰めている時期に「在り方」が見えにくくなる。 その時期に、4/27のメモを開けば、思い出せる。
何をやったかではなく、どう在ったか
その日にやったことは、たいしたことじゃない。 モニター依頼のメッセージ1通と、お店への返事1往復、それくらい。
でも、ジャーナルに書いた「自分がどう在ったか」の側は、長く残るものになった。
開発の量で1日を測るモードと、在り方で1日を測るモード。 どちらかが正解、というわけではない。
ただ、量モードが続いた週のあとに、1日くらいは在り方モードに切り替える日があってよかった。 それが、4/27の土曜日だった。
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