2時間で2店舗のシフトが終わった夜から、「整える日」に切り替えるまで

2024年10月21日、23時52分、ノートに「今日の夜の集中力は素晴らしかった」と書いた。
今日の現場
2026年3月、毎日のジャーナリングのフォーマットに、こう書き足してある。
「睡眠6時間未満か、メンタル3以下なら、今日は判断を広げずに整える日へ切り替え。人間は壊れた状態で名判断できるほど高性能じゃない」
3月4日のジャーナルから引いてくると、こう書いている。「睡眠6時間 体調7 メンタル8 感情8」「事実としては昨日から開発が大幅に進捗した、天神店の金銭事故問題もなんとか適切に対処した、判断力は鈍っている可能性がある」。
解釈は、「開発を無理して進めた、少しでも有用感を高めたい」。
別解釈は、「無理することで全体のパフォーマンスや判断力の低下を招く可能性がある」。
次の一手として、「焦るときは深呼吸」「マインドフルネス」とだけ書いた。
整える日と書いて、開発を進める日を遠ざけた。それだけのことだけど、最近は、それを毎日のジャーナルでやっている。
あの頃と今
1年5ヶ月前のノートに戻る。
「23時52分。今日の夜の集中力は素晴らしかった。2時間のうちに二店舗のパートナー評価シート作成と熊本のシフト作成ができた」
「この集中の根源にはやはり瞑想があるのかもしれない」
「夜ご飯は初めてのうなととで1390円の鰻を食べた。この値段であのクオリティなら納得。でも鰻がファストフードになっている、そんな食べ方をする自分が少しさみしく感じた」
「店を出る前では仕事も集中して成果を残すことができた。よくやったと自画自賛」「瞑想でやらなきゃ!が思いついた」「今日は1日を通して多幸感がある。こういう日はほんとに増えた。有り難い」
その夜の私は、集中が極まることに歓喜していた。瞑想が「やらなきゃ!」を運んでくる感覚を、たぶん最大限に活かそうとしていた。集中の根源、と書いた。根源を確かめた夜だった。
頭の中
集中の根源を見つけた夜と、整える日に切り替える今は、矛盾しない、と思う。
集中の根源があるからこそ、それが鈍ったときの判断は危ない、と気づける。瞑想で集中力が上がる、ということを当時の私が知っていなければ、今の私も「判断力は鈍っている可能性がある」とは書けなかった。
別の見方もある。整える日を持つようになって、2時間で2店舗のシフトを終わらせた夜のような瞬発力は、減ったかもしれない。鰻を1390円で食べて多幸感に包まれた夜のような、無防備な歓喜も、減ったかもしれない。整えることと、燃やすことは、たぶん両立しない瞬間もある。
まだ途中のこと
集中の根源は、確かに瞑想だった。今日は点火しない、と決められるようになるまで、少し時間がかかった。
毎日燃やすか、ときどき整えるか。両方を持てるのが、たぶんいちばんいい。今日が燃やす日なのか整える日なのかを、朝のジャーナルで決める。それが今のやり方だ。
こうした記録を続けています。よければ、また読みに来てください。
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