息子の手を握って「自分の心を守ってくれ」と願った夜

2026-05-03 · note 掲載版

息子の手を握って「自分の心を守ってくれ」と願った夜

2026年4月7日、九州の実家。 9歳の息子といっしょに寝た。8ヶ月ぶりの時間だった。

その夜、息子から「学校でいじめられている」と聞いた。 すぐに何かをしたくなった。先生に電話するとか、相手の子の家にとか。

でも、すぐにできることはなかった。 私たちは離れて暮らしていて、直接連絡が取れる手段もない。母親と姉を通すしか道はない。

別の渡し方があるかもしれない

息子のいじめを聞いて、頭の中で組み立てたのは「行動」じゃなくて「渡し方」だった。

何かを解決してあげる、という形では、たぶん届かない。 代わりに、息子が自分で自分を守れるようにするための小さい言葉を、いくつか渡したかった。

ディフュージョン、という考え方を、9歳に伝わるように噛み砕いて話した。

心の中の不快な気持ちは、自分そのものじゃない。耳のあたりを渦巻いているもやもやで、自分から少し離れたところに置ける。
そのイメージを、いっしょに息子の身体の上に手で描いた。

息子は静かに聞いていた。 途中で「どうやって連絡したらいい?」と聞き返してきた。 その「どうやって?」は、繋がっていたい、という意思の表れに見えた。

願うしかなかった

別れ際、小さい手を握って言葉を渡した。

「無理だけはするな。困ったら、母親か姉を通してでもいいから、連絡してきなさい」

そして、握ったまま、声には出さずに祈った。 「自分の心を守ってくれ」

直接的に何もしてあげられない代わりに、それだけを願った。 心配の数値は、ジャーナルでつけたメモでは4/10のまま、その日からずっと変わっていない。

ただ、やれることを全部伝えたから、後悔はなかった。 できることをやり切って、あとは息子を信じる。それが、自分にできる誠実さの形だった。

8ヶ月前の夏、別の人に同じことをしようとしていた

そこから話を、半年以上前に戻したい。

2025年8月、私はある計画を立てていた。

10年近く前にお世話になったメンター3人と、若い頃の友人ひとり——合計4人に「アポなし訪問」をして、感謝を伝えに行く、という計画だった。

何かをお願いするためじゃなくて、ただ「あの時のおかげで、いまの自分がある」と顔を合わせて伝えるためだった。 20代初期に道場で世話になった人たち、30代前後でたまに会っていた人たち、40代の私を見守ってくれている人たち——3つの世代に、それぞれ。

メモにはこう書いていた。

「分岐点に立っていた頃の自分に、何かを渡してくれた人たち。今の自分のかたちは、その人たちの言葉と空気でできている」

実際に4人とも訪ねた、わけではなかった。 2人会えて、1人は不在で、1人はタイミングが合わずにいる。

でも、感謝を「ちゃんと言葉にして相手に渡す」という運用を、自分の中に入れようとしていた。

渡し方は、いつも同じだった

去年の8月の「感謝を伝えに行く計画」と、今年4月の「息子の手を握って願う」のは、私の中では同じ筋でつながっている。

何かをしてもらった人にも、何かをしてあげたい人にも、私から渡せるのは「言葉と、握った手」くらいだった。 どちらも結果はコントロールできない。相手がそれを受け取って、何かを変えるかどうかは相手の側の話だ。

それでも、渡せるものを、渡せる時に渡しておく。 それは、20代の私が当時のメンターから受け取ったものでもあった。

9歳の手の小ささ

息子の手を握ったとき、思った以上に小さかった。

8ヶ月会わない間に、確実に大きくなっていたはずなのに、それでも小さかった。 その小ささに、自分の側の不在が押し返してきた。

不在を埋める方法は、たぶんない。 ただ、「困ったら連絡してきなさい」という言葉と、握った手と、声に出せなかった祈りだけは、息子のどこかに残ってくれたらいい。

それが届くかどうかは、息子の側の話だ。 私にできるのは、自分にできる範囲で、ちゃんと渡し切ることだった。

20代の自分が誰かから渡してもらったように、9歳の息子に何かを渡し直す。 それが、いま自分がやれている、たぶん一番大事なことだ。

#子育て #いじめ #認知的脱フュージョン #ACT #日記 #エッセイ #父親 #AkariLab