一年半の関係を執着で潰した話。半年後に気づいて、いまやっと書ける

一年半付き合った元カノと別れて、もう一年以上経つ。当時何が起きていたのかは、別れて半年の時点で一度言語化できていた。ただ、それを人の目に晒せる文として書けるようになるまで、さらに一年ほどかかった。失敗談として読んでもらえればいい。
別れて半年経った頃の日記
2025年3月18日。別れて半年経ったこの日の自分の日記に、こんな一行がある。
彼女が持っていた高いメタ認知能力と、自分の感情に振り回されやすい傾向のギャップに苦しんだ経験を思い出した。
書いてから少し驚いた。一緒にいた一年半の中では、「何かがズレている」「自分が辛い」とは思っていたのに、その正体がずっと言語化できていなかった。半年経って初めて「ああ、ギャップってそういうことか」と腑に落ちた。
その日記には続きがある。自分宛てに書いた言葉なので、ほぼそのまま引用する。
表面的な欲求(性欲)の裏には、「安心感」を求める本質的な感情があることに気づいた。安心感を外に求めてしまうのは、自分自身がまだ完全に確立できていないからだと理解できた。
恥ずかしい記述だ。でもこれが当時の言葉そのままだ。半年の時点で、ここまで言葉にできていた。ただ、これを人の目に晒すには、もう少し距離が必要だった。
何も求めてこない人だった
元カノは、こちらに「こうして」「こうあって」と求める人ではなかった。意見を押し付けてこなかった。教えてくれもしなかった。ただ、隣にいた。
当時はそれを物足りなく感じていた節がある。何かを求められている方が、応えられる気がする。何も求められないと、何をすればいいか分からない。だからたぶん、勝手に「これを求められているはずだ」と思い込んで、先回りして動いていた。
別れて三ヶ月、会わなくなって三週間ほど経った2024年12月25日の日記にはこう書いてある。
彼女から連絡があった。やっぱり素直に嬉しいしホッとする存在。めちゃくちゃ好きなんだろうなー。
一緒にいた一年半、この素直さはほとんど出てこなかった。離れて初めて、すっと出てきた。
自分が何をしていたか
執着、疑心暗鬼、安心感を外に求める、未練を避ける。全部、関係の中では「自分はそんなことしてない」と思っていた。むしろ寄り添っているつもりだった。確認や問いを重ねていたのも「相手のため」だと思っていた。
違った。あれは全部、不安を相手に肩代わりさせる行為だった。半年経った時点で、そこには気づいていた。ただ、こうして文章にして公の場に出すには、さらに一年ほどかかった。書いてしまえば、引き返せないからだろうと思う。
相手は、これを当時から薄々分かっていたんだと思う。それでも何も言わなかった。説明も説得もしなかった。離れていく時にも責めなかった。
「分からせてくれる人」ではなく、「分かるまで黙って待つ人」だった。
教えない人が、いちばん置いていく
別れてから一年以上、元カノの存在感は減らない。むしろ濃くなっていく。
これは未練とは違う気がしている。受け取っていたものに後から気づく、という現象に近い。何も言われなかった。何も教えられなかった。なのに、半年で気づいて、さらに一年かけて、内側に置かれていたものの輪郭がはっきりしてきた。
「正解」を渡してくれる人より、「ただ隣にいる」人の方が、結局は多くを残す。受け取り側の準備が整うまで、何年でも待ってくれる。
最近こう思うことが増えた。子どもに対する大人の関わりも、本当はこっち側なんじゃないか。教える、導く、誘導する、ではなく、置いておく、待つ、来たら応える。
そういう思想のものをいま作っている。形になったらまた書く。
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