習字のマインドフルネスと、ある店長にWDEPを渡した日

2026年4月30日、過去の日記の中で、習字と部下と現実療法が同じページに並んでいる日があった。そして
今日の現場
1年1ヶ月前、習字の時間と、部下に対する関わり方の試みが同じ夜に書かれている
当時の自分は、習字を「マインドフルネス」と呼んで、もっと書きたいと書いている
同じ日に、ある店長へ「WDEP」という枠組みで本人の意思を確かめる会話を試みている
自分の整えと、人への関わりが、同じ温度で並んでいる
今日もそのある店長の面談をしたところだ。
あの頃と今
2025年3月17日のジャーナリングまとめにこうある。
習字をしているときは、字に集中することで余計なことを考えなくて良い(マインドフルネスな状態)。/ときどき他の人の会話に意識が飛ぶこともあり、そういうおかしな感じも楽しめてるね(笑)
筆ペンを早く買って、家でも少しやりたい、と書いている。「もっと書きたい」と感じられる趣味ができそうだ、と。
仕事の方は、ピークタイムを明るい雰囲気で乗り切り、アルバイトへの教育もしっかりできた、とある。さらにこう続く。
ある店長に対してWDEPを提示し、「本人の意思」を強化する具体的なアクションを取れたのも大きい。/仮に本人がすぐに変わらなくても、「自分はやれることをやった」という達成感や納得感があるね
WDEPは現実療法の枠組みで、「何を欲しているか/何をしているか/その評価/次のプラン」を順に問う。当時は、それを部下との会話に持ち込んで、相手の意思を確かめる時間を作っていた。
頭の中
習字のマインドフルネスと、部下にWDEPを使った場面は、別々のことに見える。けれど両方とも、相手や自分の内側に集中する練習だ。字に集中する時間と、相手の本音を聞く時間は、構造が似ている。
部下が変わらなくても、自分はやれることをやった、と書けたのは、結果から評価軸を切り離せた夜だったからだと思う。習字で「上手く書けたかどうか」より「集中できたかどうか」を見るように、相手の変化より、こちらの関わり方そのものに目盛りを置いた。
まだ途中のこと
この夜の書き方は、いまの自分にも引き継がれている。結果が出る前に、自分の関わり方を確認する目盛りを持つ習慣。今のところ、半分くらい忘れて生きている。
自分は今、子どもがAIに「もう一回ヒントください」と言える仕組みを作っている。子どもの結果ではなく、子どもが自分から関わりにいく回数の方を見たいと思っているのは、たぶんこの夜の習字とWDEPの記憶があるからだ。
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